長唄伝説

長唄、小唄の違いも知らず入った三味線の世界ですが
どうしてもわからないことがありました。

私がごく小さな子供であった半世紀ほど前の岐阜の街、
家の近くでは三味線の音が聞こえ、夕宵には芸妓さんの姿を見かけました。
しかし、良家の子女はお琴や日本舞踊を習うことはあっても、
三味線を習うことはないと思ったのですが、
有名人の伝記などには結構、
毎日学校から帰ると三味線を習いに行った、という記述を見るのです。

昨日、そのなぞが、東京のお師匠さん(吉住流家元夫人)の話でとけました。

明治の代になって、西欧化を進めるなか、日本の伝統音楽が危機に面していました。
そんな時、救世主として現れたのが福沢諭吉大先生。
先生は三味線が聞こえていると筆が進み仕事がはかどるといった
ながら族のご先祖様のようなかただったらしい。
で、先生がなにも三味線を辞めることはないと言ったくれたおかげで
東京芸術大学の前身である、東京音楽学校に邦楽科もできたんだそうです。

時に四代目吉住小三郎師は長唄の唄の名人で
三味線の三代目杵屋六四郎師とともに長唄研精会をつくり(明治35年)
歌舞伎の伴奏音楽であった長唄を独立させ、
単独で鑑賞できる音楽にしていったのだそうです。
後二人は名前を吉住慈恭・稀音家浄観とかえ、
小三郎師は東京音楽学校の教授もつとめたそうです。

そして、良家の間では長唄を習うのが大流行したのだそうです。

そして100年後の今、やっと小学校で
日本の伝統楽器にふれるカリキュラムがめでたくできた、ということのようです。

4世・吉住小三郎師は西洋音楽も学び
長唄の普及発展のため楽譜も作ったんだそうです。
でも、杵屋さんとは相談しなかったらしい。杵屋さんの楽譜とは違うんだそうです。

疑問が解けて、すっきりしてきました。
この2人の演奏するレコードが色々あるようですが、
さすがに見つけるのはなかなか大変らしい。
一部ネット上で録音が聞けるらしいけど・・・・
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by yamamotoyk | 2005-08-12 11:47 | 三味線 | Comments(1)
Commented at 2005-08-14 17:27 x
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